誰も、他人の気持ちはわからない
初めて体に障害を持つ人の気持ちがちょっとだけわかった
先月、写真部夏合宿で行った熱海の宿の大浴場で、私はほぼ初めて左胸をさらしました。
そこで、隣の洗い場を使っていた若い女子と鏡越しに目が合い、彼女からの視線をちらちらと感じ、さらには翌朝の朝食時に一緒に来ていた彼に耳打ちしていて、その彼がこちらをまじまじと見てきて目が合いました。
まあ自意識過剰じゃないかという盛り要素を差し引いても、やっぱり視線を感じたんですよねー。
ていうかあの鏡越しに目が合った時の彼女のびっくりした顔が忘れられない。
この人、胸がなんかおかしいんだけど!みたいな。
昨日も載せたけどこんな感じね。しかも坊主頭。
それで、そうか、普通の人と違う体を持つ人はこういう風に見られるのか。
そんなことを思いました。
視線を送ってきた彼女のことを批判する気持ちもないし、それが良いか悪いか、という点はもはや私にとってどうでもよいことです。
ただその事実があった、というだけ。
そして、私の体は少しだけ健常者と違っていて、それに気づく人は「違う」という認識(ある意味関心ともいう)をはっきりと持ち、区別してくるのだな、と実感しました。
今、パラリンピックでさまざまな競技の選手が活躍していますが、彼らは生まれつき肘から下がなかったり、事故で両足を失ったり、目が不自由だったりと何かしら体に障害を持っています。
海街diary4巻『帰れないふたり』/吉田秋生
「君だって目の見えない人や、腕をなくした人の気持ちは分からないだろう?」
吉田秋生さんの漫画「海街diary」4巻で、登山の凍傷で両足の指を何本か失ってしまったアフロ店長が、悪性腫瘍で足を失い、苛立つ少年にかけた言葉です。
今回の浴場での出来事で、今パラリンピックに出ている選手たちの気持ちが、その時はちょっとだけわかったような気がしました。
乳がんになり、左胸を失わなければ考えもしなかった。
・・・けれども。
それはきっと、私の想像の域を越えないし、わかったような気がするだけで、本当にわかってはいないんですよね。
海街diaryで出てくるエピソードでもう一つ好きなのが、両親を失った少女が「かわいそう」と簡単に言われることにむかつくシーン。
「お父さんもお母さんも死んじゃってかわいそうね 兄弟いなくてさびしいでしょ かわいそうにねって」
「かんたんに人のことかわいそうっていう人、すっごくムカつく!」
私は「癌になってかわいそうに」と言われたことがあり、その時はさすがに「はあー?」と思いました。
わかった口きくなよ。簡単にかわいそうとか言うなよ。自分が思ったことに私まで染めるなよ。
誰も、本当の意味で、他人の気持ちはわからない。
肉親でも恋人でも友人でも、それは同じこと。
それぞれ個人が抱える気持ちは自分で飼いならすしかないんです。
けれども、想像して寄り添うことはできる。
それが、相手に対する思いやりだと思います。