畔室長裏日誌

某写真系アトリエギャラリーを主宰しているsaorinです。乳がんを宣告されたのをきっかけに、個人的な日記が書きたくなって立ち上げました。主に乳がんの闘病日記と毎日のごはん簿をUPしていましたが、治療が落ち着いた今は登山・キャンプ・旅など趣味についても書いています。

その感情に浸ることから卒業しよう

 
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ふと気づくと、自宅のリビングにいる観葉植物から新芽が出ていました。
地味に少しずつ葉が落ちていたので心配していたのですが・・・春が近づいてきたんですね。
季節に寄り添って生きている植物に、改めて感動しました。
最近の私は、、、
2月は本当に忙しくてあっという間に過ぎていき、3月に入ってからやっと落ち着いたので、ようやく少し抗がん剤治療中の病人らしく(?)ゆったり過ごしています。
人は適応する生き物である
先月の忙しかった大イベントは、カメラ・写真業界に関わっている人がたくさん集まる場所ということもあり、仕事でご一緒した方やワークショップを受けにギャラリーに来てくれた方など、少しご無沙汰している皆さまと会場で会い、言葉を交わす機会がありました。
FBで病気のことを告白しているものの、その後どんな状態なのかそこまで詳しく公開していないからか、とある方とこんな会話をしました。

その人「本当に大変でしたね。。。とても心配です。今、普通にここにいて大丈夫なんですか?」
私「いや、別に大丈夫です、思ったよりも結構元気ですよ」
その人「本当に?から元気とかではなくて?」
私「ほんと、ほんと(本当につらくないの?って意味だろうなあ・・・)」

その人との会話で感じたことは、自分が把握している実際の自分の状況と、人がイメージしている私の状況には時間差があるということ。
私が乳がんであること、全摘手術をしたこと、抗がん剤治療をすること、という情報のみでアップデートが止まっているので、その人の中で「病人のsaorin」というイメージのみが固定されていたのだろうなあと思います。
でも当の本人は、副作用は今のところ思っていたほど大したことなく、普通に仕事ができていて、しかもかつめちゃめちゃ忙しかったので、自分が病人であることを意識するのを時々忘れてました。いやほんと。

健康な人からしたら病気を持っていること自体、“不幸で、つらい気持ちを常に抱えている”イメージなのかもしれませんが、人はいつまでもその感情に浸り続けることができないと思います。というよりも、その感情に浸る長さには個人差があります。

私もガンが発覚した最初こそショックで、少しめそめそしてへこんでましたが、もうその感情はほとんどありません。“なくなった”というのとは少し違いますが、すでに過去のこととして忘れかけている、という感じでしょうか。
でも、人によってはいつまでも、つらい自分、病気の自分を思ってへこんでいるかもしれません。
結論。結局、人による。性格などからの個人差が大きい、ということです。
病気でなくても言えることかもしれません。失恋してつらくても、そのつらくて悲しい気持ちに浸り続けることから卒業する時はきっと来ます。それがいつかは、個人差があるので人によって異なりますが・・・

とはいえ病気の場合、心と体はつながっている時とそうでない時があり、つながってる時の比例度は果てしなく大きい。体が不調の時は心も不調。
私の場合、おそらく副作用がきつかったらここまで元気にしていないと思います。

今後の予定と学習したこと

抗がん剤投与はあと2回。3回目は3/24で、4回目はまだ未定です。
今までの2回の経験で学習したのは、

・中途半端に茶髪のウィッグはかえって似合わない
・投与してから1週間までが一番体にこたえる(何かしんどい、だるいというくらいだけど)
・手の指が凍傷みたいになって、皮がべろべろにめくれるのが今のところ一番日常生活に影響のある副作用
・まつ毛、眉毛も少し薄くなっている

ですが、さて3回目以降はどうなるか。