畔室長裏日誌

某写真系アトリエギャラリーを主宰しているsaorinです。乳がんを宣告されたのをきっかけに、個人的な日記が書きたくなって立ち上げました。主に乳がんの闘病日記と毎日のごはん簿をUPしていましたが、治療が落ち着いた今は登山・キャンプ・旅など趣味についても書いています。

アビのてんかんを振り返る

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アビが旅立ってから4か月がたちました。
写真を見ているとまだまだ悲しい気持ちでいっぱいなのですが、アビの死の直後の刺すような痛みはなくなってきて、アビがいない毎日に慣れてきています。
最初の頃は旅立ってしまった時のことを人に話すだけで涙ぐんでいましたが、最近は落ち着いて話せるようになりました。
なので前回の日記で宣言した通り、いつか備忘録として残そうと思っていた、アビの病気・てんかんの発作と経緯について記しておきます。

2018年6月2日 最初の発作

埼玉方面のキャンプに向かう途中立ち寄った、天空のポピーという花畑で写真散歩した後、最初の発作が発生。
車に乗り込んだあと、後部座席に乗ったアビが、急にシートから転がり落ちる。何事かと見てみると、よだれをたらしながらびくびくけいれんしている。
今まで見たことのない症状で若干パニックになり、病院に連れて行こうかと思ったが、数分後落ち着き、その後何事もなかったようになったため、迷ったけれども結局そのままキャンプに行くことに。
このことについてはこちらにも書いている。
最初はてんかんだとわからず、熱中症か熱けいれんなのかと思っていた。

saorin-fotori.hatenablog.comsaorin-fotori.hatenablog.com

2018年7月15日 発作2回目

最初の発作から1か月半後、同じ発作が発生。
かかりつけの病院に連れて行くも、発作は数分でおさまり、連れて行くときにはけろっと治っているため、今度発作が出たら動画に撮っておくようにと言われる。

 

2018年8月5日夜・6日朝 発作3回目・4回目

連続して夜と翌朝に発作発生。
発作を動画に撮って先生に見せたところ即「典型的なてんかんです」と言われ、病名が確定。
連続して症状が出始めるとあまりよい結果にならないと告げられる。
発作の後、アビはしばらくぼーっとしていて、家中をうろちょろ徘徊することが多かった。
てんかんの薬を飲み始める。最初の頃は1日2回、1錠ずつだったのが、そのあと連続して発作が増えてしまったので、2錠×2回で1日4錠。

これは副作用はほとんどない新しい薬だそうで、飲む量が増えても大丈夫らしい。
余談だが、食いしん坊のアビはごはんはもちろん、フィラリアの薬も嬉々としてなんでも食べていたが、この薬はまずいのか、ごはんの上に乗せても器用に残すことが多かった(笑)

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2018年8月22日夜 発作5回目

私の北アルプス山行中、夫から夜に発作が出たとLINEが来た。
ここ2週間ちょっと、しばらく発作が出ていなかったので少し安心していたが、その連絡で落ち込む。症状としてはいつもと一緒。

 

2018年9月24日朝 発作6回目

1か月間発作がなかった。8月の発作の後から、少しでもてんかんの発作が出ないように色々調べた結果、フラワーレメディが効果的ということを知って、さっそく取り寄せる。

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www.green-dog.com

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その効果か不明だが、1か月以上発作が起きなかった。
けれどもまた起こってしまったのがこの日。6回目である。

何度か病院に連れて行ったが、先生から安楽死の選択肢があることを告げられる。
てんかんの発作が連続してひどくなることを重責と言う。この状態になってしまうと、当犬にとってはただ苦しいだけなので、すぐに楽になれる注射を打つことも可能だ、と。
もし本当にそうなってしまったら、正直、安楽死の方がアビにとってはいいのかと思っていた。あの発作がずっと続いたまま生き地獄を味わわせるのは忍びない。
けれども、その時に直面したら本当に安楽死を選択できただろうか。
今でもわからない。


10月4日朝 2回連続して発作が起きる

今までは連続して発作が起きるのも夜と翌朝くらいだったのが、この日朝発作が起きて、落ち着いたと思ったらまたすぐに発作が出た。今までになかったことで、思わず「うそでしょ」とつぶやいてしまう。
しかもいつもなら5~6分でおさまる発作が、なかなか終わらない。

この日、私は午前中ホトリで作品荷物の受け取りと、重要な仕事の納品で外出しなければならなかった。夫ももちろん仕事で先に出かける。私は出発時間ぎりぎりまでアビの様子を見守ったが、アビのけいれんが止まらない。夫にもその旨LINEで連絡する。発作が出っぱなしのアビをそのまま残していくのがとても心が痛んだが、どうしても出かけなければいけなかった。もし発作がおさまってアビが気がついたとき誰もいなかったら悲しいよね。。。アビ、ごめんね。
今でもアビを看取れなかったことと、発作が出ているアビを置いて出かけなければいけなかったことを後悔している。

用事を終え、夫にも早めに仕事を切り上げてもらって二人夕方に家に向かう。正直、既に死んでしまっているのではないかと思っていた。家に到着し、鍵を差し込んでドアを開いた瞬間の緊張感は今でも覚えている。廊下に転がっているアビをおそるおそるのぞいてみたら、どうやら寝ているようだった。ほっ。と、そのとたん、また少しけいれんが始まった。やはりまだ様子がおかしい。まだ午後の診療時間中なので、急いで病院へ連れて行くことにする。
夫が車を取りに行っている間、アビにずっと呼び掛けていた。
ほとんど聞こえていないだろうけど、もしかして少しでも呼びかけが聞こえていたら正気に戻るかなという淡い期待を抱きつつ、「アビ、アビ!」と呼びかけ続けた。

そしたら、アビがはっと気が付いたように、「ママ?」と私の方に振り返って起き上がった。

呼びかけが通じた!!
と喜んだのもつかのま、またけいれんが起き始めた。

夫が車を回してくれて、急いでアビを病院へ連れて行く。
こういう時に限って前に診てもらっている子の診療が長くてやきもきした。

けいれんのせいで体の向きが思う通りにいかないのか、ずっときゅーきゅー鳴いていたアビ。先生が体勢を変えてくれたらぴたっと静かになった。発作は少し落ち着いたが、やはり先生に預かってもらうことになった。

2018年10月5日命日 昼頃に旅立つ

この日また仕事が終わってからアビの様子を見に行く予定だった。けれどもやはりあまり仕事は手につかない。
その時、私の携帯が鳴った。着信は病院からだった。
先生からは、ただ一つ、亡くなったときしか電話はしませんと言われていたので、電話に出る前に既に全てを悟った。
夜、発作が出て落ち着いてはまた発作の繰り返しだったそうで、発作を抑える注射を2度するも、結局旅立ってしまった。

夫にも電話し、途中で仕事を切り上げて病院へ二人で向かう。アビと対面したが、ただ寝ているだけのようにしか見えない。
先生の説明を聞いてから、一度車を取り戻って、アビと一緒に家に帰った。
3日後、アビを荼毘にふした。

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アビは今、大好きだったお庭と、家の中、あとバッグのカプセルの中、の3か所にいます。
14歳と7カ月。もう少し生きると思っていたけれども、もっと長生きしていたら介護とか必要になるのかな、という話を夫としたことがありました。そしたら覚悟しなきゃね、と。
結局その介護もなかったし、安楽死を選ばざるを得ないこともないまま、アビは一人で旅立っていきました。もしかして、そういう選択を私たちにさせなかった親孝行な子だったのかもしれません。

3月に、アビとの14年7カ月を振り返る写真展をやります。
次回お知らせしますね。